2025/06/10
Harmonie – deux visages de cerise アルモニー ~スリーズの二つの貌 Titre:忘れられない果実 – Mémoire cerise
修行時代の東京。
暑さと喧騒の中、気を抜けばすぐに置いていかれるような毎日だった。
寝る間も惜しんで働いて、休日には菓子屋巡りをしていた。
店名は忘れてしまったが、目的のパティスリーを見つけ、扉を開ける。
本命より目を奪われたのがアメリカンチェリーとピスタチオのタルトだった。
そのタルトの色と香りだけは、今でもはっきりと記憶に残っている。
チェリーの深い赤と、ピスタチオのやさしい緑。
その色の対比が、心の奥にそっと沈んで、フォークを入れた瞬間、
「これは、特別な果実なんだ」と、なぜかそう思った。
アメリカンチェリー。
短い期間しか出回らず、フランス菓子ではあまり使われることのない素材。
けれど、だからこそ、そのひと口が、私の中に“なにか”を残してくれた。
それは、記憶の種。小さな衝動。
いずれ自分が菓子を作るとき、この果実を使いたいと、そっと決めた瞬間だった。
——
今回のタルトは、その記憶から生まれた。
ハイビスカスの真空シロップでゆるやかに火を入れたチェリー、
柚子のゼストとレモンで軽やかに和えたフレッシュチェリー。
ふたつの貌をもつ果実を、そっと並べる。
そこに重ねるのは、エルダーフラワーの香るディプロマット。
やわらかく、でもどこか芯のある、白の記憶。
儚い季節に咲く、このタルト。
ほんの短い命だからこそ、長く心に残る余韻を目指した。
果実が熟れるその瞬間、過去と現在が重なり合い、
ひと皿の上で、小さな和音(ハーモニー)が響く。
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